さくらだエッセイNo.13

2006.7.2 勇み足

 実は先週の金曜日、台風先生と私(サク)はライブをしました!
 っていうのは、どこかで書いたかもしれないですけど、私と台風先生の出会いはJAZZなんですよね。台風先生はドラムで、私はピアノ。それ以外にベースはもちろん、トランペット、サックスといったメンバーが集まりまして、金曜日の夜に、熱いライブをやったってわけです。
 台風先生がアメリカから連れてきた学生がたくさん来てくれて、かなり盛り上がったんですけど、たぶんそこに来てくれた人は、台風先生がなぜ台風なのか、分かったんじゃないかと思います。
 何しろ、台風先生って、私なんかよりかなり年上(日本の学校だったら校長先生の年齢)なのに、ドラムはすごく熱い! パワフルっていうか、本当に台風みたいで、2ステージやったんですけど、その最後の最後まで、力が落ちなかった。決して熱帯性低気圧にならない、台風って感じでした。

 まあ、そんな無駄話はさておき、今日はですね、『勇み足』というタイトルです。ちなみに『勇み足』とは相撲の決まり手の一つで、「勢い余って自分の足が土俵の外に出て負けてしまうこと」をいいます。今日の場合、勇み足をしたのは私(サク)ですので、そのことを書いておきます。

サクの勇み足 
 台風先生と私の間での出来事です。
 台風先生の理論をまとめようと、私は奮闘しているのですが、その中でこんな論議がありました。

サク「台風先生の理論ってさ、3つのシステムにまとまるよね」
台風先生「そうだよ」
サク「その3つって、日本語の活用、Particle(助詞)、修飾だってことは分かるんだけど、そのParticle(助詞)のところをさらに他のところをまとめたシステムが作れるんじゃないかな?」

 日本語文法、それも台風先生のやり方においての場合なので、このあたりのことを分かっていただくのは難しいかもしれませんが、私の言い分はこうです。

 日本語を日常使っている立場で考えると、日本語特長は「1〜2つの『音節』をくっつけたりとったりすることで、その文全体の意味を変えることができる」ってことではないか……。
 つまり、述語の活用で、「な」が入ると必ず否定文になりますよね?(行かい、美しくい、男じゃい) それから「れ」が入ると、受け身になりませんか?(やらる、叩かる、盗まる)
 それって、日本語の特長だと私(サク)は思ったわけです。で、さらにそのことって「Particle(助詞)」の機能とも似ているんじゃないだろうか、と・・・。
 だって、助詞だって「1〜2つの『音節』」で、その音節を変えることで、その前に来る言葉の役割が変わってくる。だからそのあたりのことは、きっと一つのシステムとしてまとめることができるに違いないって……。

台風先生「あのねえ、サクちゃん。それって勇み足だよ」
サク「え? どうして?」
台風先生「このことはね、よく分析して考えなきゃいけないんだけど、……まあ、仮にサクちゃんの言っていることにも何とか理屈が通ったとするよね?」
サク「通らない?」
台風先生「たぶん、難しいね。……でも、仮にサクちゃんの言うとおりだったとしてもね、そういう理屈には意味がないんだよ」
サク「どうして?」
台風先生「理屈って言うのはね、使えなければ意味がないんだ」
サク「使えなければ意味がないって、どういうこと?」
台風先生「ボクたちの目的は、日本語を勉強したいと思っている外国人に、日本語を効率よく勉強してもらうためのシステム=理屈作りだよね? 日本人が日本人のために作る理屈はいらないんだよ。つまりね、理屈のための理屈はナンセンス。学者が勝手にやってればいいことで、ボクたちには全く意味はないんだ」
サク「……」
台風先生「サクちゃんが言ってるのは、理屈のための理屈だよ。それを一つの理屈としてまとめても、それを理解するのに時間が掛かるし、逆に使いにくいと思う」
サク「そうか……」

 というわけで、私の勝手な思いこみは一蹴されました。要するに、それは台風先生のフィールドでして、私が口を挟めない領域だということです。
 いいアイディアだと思ったんだけどなあ……。


今日のまとめ
・サク(私)は、勇み足をしてしまった。
・その勇み足は、サクが勝手に日本語の特長にかかわる新しい理屈を考え出したことである。
・サクの考えた理屈は、論理的な検証が難しいばかりか、理屈のための理屈であり、意味がない(と厳しく台風先生に言われてしまった)。
・逆に言えば、台風先生のやり方は、学習者が使えることを前提として考えられている。